介護
介護に関する事件を見聞きするたびババの胸は痛む。そうした苦をババに負わせる
ことなく逝ったジジにただ感謝するのみ。多分ババには手厚い介護は出来なかろうと、
ジジは諦めていたのだろうか。近隣の一人暮らしのひとたちの役にたちたいという
ジジの夢は叶わなかったけれど。
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介護に関する事件を見聞きするたびババの胸は痛む。そうした苦をババに負わせる
ことなく逝ったジジにただ感謝するのみ。多分ババには手厚い介護は出来なかろうと、
ジジは諦めていたのだろうか。近隣の一人暮らしのひとたちの役にたちたいという
ジジの夢は叶わなかったけれど。
金曜日の夜、「ローハイド」を観ていたババ。出演者の一人、東部から来た若い夫役に
もしかしたら、ジョン・カーと気づく。ジョン・カーの映画はあまり観ていないが「お茶と同情」
という作品で年上の女性に惹かれる内気な青年を演じていた。あのジョン・カーが西部劇に
出て、ロデイ役のイーストウッドと張り合っているなんて、ババは嘆息。でも先日、観た「赤い
河」では優男モンテイがジョン・ウエインと殴りあっていた。ババがテレビで観るのは昔の映画
ばかり。男優も女優もみな若くて綺麗。そういう俳優たちが「ミス・マープル」シリーズなどで老いた
姿を見せるのは辛い。
ルバーサロン二回目参加のババ。前回は折り紙で苦労したが、今日はボール打ちと
輪投げ。運動音痴のババにはこれまた苦手。結局ボール打ちは12打数中ホールインは
たったの三球。輪投げは9投中、的に入ったのはたった一回。それもお情けでかなり手前
からの一投げ。背が高く手足もすらっと長い人は綺麗なフォームでつぎつぎ的にはまる。
癒されるよりストレスになりそうな二時間だった。
イートインで百円のコーヒーとパンを食べていたババ、隣席の男性と会話。
ジジと同年代と思われる人は毎朝九時に家を出て歩きまわれるという。家に
帰るのは三時すぎ、途中二か所で食事やお茶を飲むそうだ。その人の娘さんは
新橋のビルのオーナーと結婚してそのビルの最上階に住んでいると話された。
「浮世絵のコレクションを持っておりまして、それを大きな金庫に収めてそれを
運ぶのにクレーンで釣り上げ、窓を壊して室内にいれたんですよ」
「へえー」とババは感心。するとまた「あんまり金庫が大きすぎるので窓を壊して」
と男性は繰り返す。「ああそうですか」とババは相槌。
「まったく窓を壊して入れるなんて」と男性。ババはどう返事していいか分からない。
パンを食べ終えコーヒーを飲み干すまで、浮世絵と金庫の話は5、6回繰り返された。
彼は他の人にも繰り返し聞かせているのだろうか。
聖書を読む会に初めて参加したババ。イエスの興した数々の奇跡について
質問をすると「イエス様は神様の御子なんですよ。あれこれ言うのは信仰心が無いからです」
と決めつけられた。神様だからと質問や疑問を許さないというのは、確固たる信仰の証しだろうが、
俗人ババにはついていけない気がする。
何かのイベントに参加したとき、アンケートとか景品引き換えとかの
名目で、住所氏名電話番号まで書かされることがある。
そんなの真面目に書かないほうがいいわよ。と知人の一人がババに忠告。
その情報が回り回ってどんなことに使われるか分からない、というのがその理由。
墓地を買えとか、貴金属を売れとか、健康食品がどうのこうの電話はしょちゅうババの
ところにも掛かってくる。でもわざわざ名前を書かなくても、スーパーなどでポイントカードを
使っても、カードには個人情報がちゃんと入っている。買ったものによってその人の消費傾向が
分かれば、それに関連した商品の売り込み電話が掛かってくるかもしれない。
今週の教会の献花は千両と黄色い小花の枝もの。ババが「マンサクですか」
と聞くと「さんしゅゆです」と言われた。信者さんの一人が「ほら、ひえつき節に
庭の山茱萸の木に鳴る鈴掛けてよの花よ」と説明してくれた。ババは今まで
ひえつき節の木は山椒だとばかり思っていたのでびっくり。ああ恥ずかしい。
信者さんになると、献花のほか司式、奏楽、献金、聖餐、さらに月一回の食事会
での給食当番などなどの役割分担がある。そして高齢信者のための送迎まである。
なんだか教会デーサービスかなといまだ不信心のババ。
先日、ババ仲間の集まりで初午から王子稲荷神社の話になった。
ババが昔、王子に住んでいた友人から「初午というとくず餅を貰った」
と話すと「お稲荷さんなら、油揚げでしょ」と返された。スマホを持っている
一人が検索してくれた。初午の日に石鍋商店という店が参道で売りだすと
いう情報にババもほっとする。その王子に飛鳥山からパークレールという
乗り物で下るという経験を昨日した。車内放送は倍賞千恵子の優しい声で
癒される。そういえば倍賞千恵子のお父さんは都電の運転士さんだったとかの
覚えがババにある。
火曜日の夕方、むかし懐かしいラッパの音ともに豆腐の販売車が来る。
ババも何回か買ったが、あるとき気のせいかガンモドキの味がおかしかった。
スーパーで買うよりはるかに高価なガンモドキ。そのころ元気だったジジは、
「別におかしくないよ」とパクパク食べてお腹を壊しもしなかった。
ババはいぜん安売りの豆乳飲料でアレルギーを起こし、顔がお岩さんのように
腫れたことがあった。それいらい大豆製品には敏感になっている。
豆腐屋さんのラッパが聞こえてくるがもう買う気はしなくなっている。
「実の息子にだって幾ら持っているか言っちゃだめよ」
友人の忠告にうなづくババ。「それから銀行だってあれこれ金融商品
を買わせようとするけど、その手に乗っちゃだめ。わたしたちに大事な
お金も先方にはゴミみたいなもんよ」のダメ押しにババも苦笑。
「お金があると思えば子や孫は寄ってくるかもしれないけれど、いざと
いう時は知らん顔」友人の言葉に実感が困る。
はてさてどうしたものか。老後資金の乏しいババはため息ばかり。
散歩の途中、線路際の草地でツグミを見つけた。ちょこちょこと
歩いては立ち止まりしばらくじっとしている。以前、ジジと参加した
野鳥の会で、ツグミのこの行動を「だるまさんが転んだ」というこどもたちの
遊びに例えて教えてくれた人がいた。ツグミはムク鳥と違って単独行動で、
敵に気配を覚られぬようしているという。何時かもう春になってだいぶ暖かい
のにまだ「だるまさんが転んだ」をやっているツグミを見かけ、仲間と帰る機会
を失ったかと心配したことがある。
寒い寒いといいながら、今日は立春。三、四年前は「題詠マラソン」
という催しに参加して、歌初めは立春の日と決めていたが、その後
ルールが変わったりして短歌とは縁切れ。そういえば「朝日歌壇」の
常連だった松田母、娘さんたちはどうなさったのか。年明けいらい短歌が
掲載されていない。月曜日の朝刊の楽しみが減って寂しい気持ちのババ。
出先で雨に振られたババ。立ち寄った百均に傘があった。百均でも
二百円の物があるので、レジの人に聞くと百円とのこと。さすがにワンタッチでは
ないが、家までじゅうぶん使えた。あらためて居間やキッチンを見回すと百均で
買ったものがずいぶんある。本棚にはブックオフで買った百円本がずらり。
「まったく貧乏くさい」とジジなら一笑するだろう。
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