九月尽
何やかやといろいろあった九月も今日で終わり。
ジジの容態も少しずつ快方へ向かっているといいのですが。
相変わらず寝たり起きたりの状態。排泄機能の大事さを改めて認識。
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何やかやといろいろあった九月も今日で終わり。
ジジの容態も少しずつ快方へ向かっているといいのですが。
相変わらず寝たり起きたりの状態。排泄機能の大事さを改めて認識。
ジジの入院騒ぎでしばらく放っておいた庭になんと彼岸花が咲いていました。去年までわが家には8月に彼岸花(リコリス)系でも薄紫のナツズイセンが咲き、お隣は9月に真っ赤な彼岸花が咲いていたのです。それが今年は逆になってしまいました。不思議なことです。
昨夜は二階のベランダでジジとお月見。薄もお団子もありませんが、二度目の退院をしたジジとのひととき。これからはあまり無理をしないでそろりそろりと生きたいと思っています。しかし、現実は病院から帰りのタクシーの中でも、仕事先からジジに電話。どうなることやら。
九月二四日は真弓さんの命日。当時流行していた日本脳炎で亡くなった真弓さん。私より一学年上だった。「中原淳一の絵に似ている」と若い男性教師から言われていたのを思い出す。あれから、幾十年。私も真弓さんくらいの孫がいてもおかしくない歳になった。でも、私の中では彼女はいつまでも年上の憧れの人。
ジジが退院して4日目の昨日、診察を受けに病院へ。「順調に回復しています」の診断に安心して、家に帰るやいなや、再出血。あわててタクシーを呼んで再び病院へ。緊急手術になりました。実は入院中も出血があり同じような処置が取られました。「今度はしっかり止血しましたから」という担当医の言葉をどこまで信じていいものやら。 でもタクシーの運転士さんから「私も肛門の手術を八回も受けましたが、ちゃんと回復しています。人間は丈夫なものですよ」と言われたのに、慰められています。
まだまだ暑いお彼岸です。スーパーで買ったお萩とパンで昼食。お萩というと、春秋のお彼岸に必ず作って届けてくれた伯母を思い出します。大の甘党だった伯母は、自分の家族だけでなく、ご近所、近くの親戚と重箱にいれたお萩を配っていたのです。いま思うと一体どのくらいの数を作ったいたことか。たっぷりの漉し餡にくるまれた大きなお萩。当時はいささかもてあまし気味だったなんて、申し訳ない思いです。
スーパーへ行ったときのこと。小松菜が棚に無かったので、担当の青年に聞くと箱から出してくれた。だいぶ萎れている。と、青年はスプレーに入った液体をシュッシュ。みるまに小松菜がしゃきっとした。「えっ、何を掛けたの」と聞いてみたかったが、声が出なかった。スーパーの棚の野菜や果物がいつも新鮮に見えるのは、あのシュッシュのお蔭?
家に帰ってジジに言うと「お前も、顔にシュッシュしてもらえば皺が伸びるかも」だって。
半月ぶりにジジがわが家へ。やっと大ジ主から開放されたようです。帰るなりすぐに温室へ。留守の間、ババの管理がどうだったかの点検。文句を言われずにすんでババもほっとしています。ミニコリンズをはじめ、四鉢のカトレアが咲いてジジの帰還を歓迎。
ちょっとした贈り物をするために、隣町のデパートへ。T店とS店、二つあるうち、やっぱりT店を選んでしまう。個人的にはS店のほうが好きなのだが。数年前の不祥事がまだ尾を引いていて「あそこは駄目よ」と言う人たちが多い。まあ、贈り物などは悪いイメージの店は避けたほうが無難かな、と小心者の私は考えてしまうのだ。
ここ数日、朝早く出かける用事があって、女性専用車に乗っている。昨日は運よく座れたが、ふと見ると一般車との連結部にかなり年配の男性が立っている。すぐ傍の優先席には若い女性が陣取って、お化粧やらケーターに余念が無い。女性専用車だから、その人に席を譲らなくてもいいわけだから、と思っても何か釈然としない。まあ、一般車の優先席でも屈強な若者が平然と座っているかもしれないが。
ブックオフの値段ってどうやって決めるのでしょうか。先日買った物集高音の『冥都七事件』は定価1890円のところが、105円。同時に買った、シャーロット・マクラウドの『復活の人』文庫版630円が350円に。人気の差なのかとも思いますが。マクロウドの本はシリーズの10冊目。初期の『納骨堂の奥に』とか『下宿人が死んでいく』から比べるとマンネリ感があります。登場人物の来歴がいちいち説明されるのも煩わしい。同じシリーズ物として、マーサ・グライムズの警部(途中から警視)リチャード・ジュリー物。こちらも1、2作目は面白かったですが、12作目の『「乗ってきた馬」亭の再会』は買ったはいいのですが、いまだにツン読。
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