045:トマト(原田 町)
連休は茄子やトマトの苗植ゑて楽しみませうどこへも行かず
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連休は茄子やトマトの苗植ゑて楽しみませうどこへも行かず
石段を登りて参る観音寺ぽつくり志願のきみと連れだち
優先席ケータイ止めぬ若者に注意もならずためいきばかり
温水のプールひたすら歩きをり海水浴はもうしないだろう
些細なる障害物にもつまづくと日々の嘆きはとめどがたしも
古着からボタンを外し仕舞ひをくふたたび使ふ日もあらなくに
理想的老後生活どうにでもなれと言ひつつ雑草を抜く
わが町の財政つとに厳しきか道路の穴も放置されをり
この本に描かれている「お泊りの家」のことを聞いたのは、十数年も前だったでしょうか。当時、養護学校の生徒の母親からでした。彼女にとって、緊急のときに子供を預かってもらえる施設がある、ということがどんなに大切だったかと感じました。その時の彼女の眼の輝きを今でも覚えています。
しかし、利用する側には有難いものであっても、それを運営してゆくというのは、並大抵の覚悟では出来ないことと思います。坦々とした筆致で、つい読み進んでしまいますが、
<僕は知っている。この紐の先が深い闇に繋がっていることを。現在のあらゆる福祉の有り様が、日本人すべての、より正確に言うなら選挙権をもつ日本人すべての心根と、ドス黒い臍の緒で結ばれていることを>と書かれてある箇所にくると、はっとさせられます。本の帯にある「実話をもとにした感動のストーリー」だけではないのです。
ただ、重苦しい気分を振り払うような場面が最後のほうにあります。
<裕子さんも他の誰もいないところで、小島がここにいる。僕はたぶん初めて、手が触れるここに小島がいることに気がついたのだ>
片思ひシラノの恋を朗々と語り給ひき高齢の師は
大祖母のブリキ製なる湯湯婆を取り出し使ふ眠れぬ夜は
今年から「昭和の日」とぞ連休の始まりとしか思へぬ日にて
目配りも心くばりも足らぬゆゑわれの幹事はいつもしくじる
墓地案内つぎつぎ届く下総国葛飾在は終いの住処か
(下総は現在は千葉県ですが、江戸時代は今の埼玉、茨城、東京の一部も入っていたそうです。また、葛飾郡は下総の国と武蔵の国、両方にあったとのこと。古文書勉強会で教えられました)
太陽系第三惑星ヒトとして桜吹雪を眺めてゐたり
(近くの公園でお花見。道路は渋滞。園内は人、人、人。こういう混雑があってこそ、花見気分になるのかな、とも思います)
タイガース勝ちたる夜は遅くまでニュース残らず見てをりきみは
(井川がいなくなった阪神もまあまあの勝ち方ですが、救援三本柱が何時まで持つか、一抹の不安があります)
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