031:雪
ほんの少し降つたぐらゐで騒ぐのね雪国の友のつぶやき
(冬の間、布団干しなどほとんど出来なかった。会津の奥で生まれ育ったという知人がつぶやいたことがあります。彼女は今でも雪下ろしの手伝いに帰郷するようです)
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ほんの少し降つたぐらゐで騒ぐのね雪国の友のつぶやき
(冬の間、布団干しなどほとんど出来なかった。会津の奥で生まれ育ったという知人がつぶやいたことがあります。彼女は今でも雪下ろしの手伝いに帰郷するようです)
いたづらにけふ一日をすごせしと棚の埃を見つつ思ほゆ
(花粉症ではなく、本当は埃アレルギーかも。偶に帰ってくる豚児がくしゃみを連発するのもその所為かしら)
うらうらとカーテン越しに春の陽が籠もりがちなるわれを励ます
(外出ばかりしていて、なにが籠もりがちだなんて、文句を言われそうですが。まだどこへもお花見に行っておりません)
あゝ君よときに夕餉のしたくなど手伝へ給へと言ひても無駄か
(027の歌から、旧かなづかいにしております。旧かなで歌を詠むのは十何年ぶりでしょうか。なにしろ、うろ覚えで間違ったりもしますが)
時刻表地図帳持ちてのひとり旅夢のかなへば寂しかるらむ
(一月の末、京都ひとり旅というツアーに参加しました。私は始めての経験でしたが、思いのほか楽しく過ごすことができました。でも、留守番のジジは大変だったようです。「ひとり旅はオレがいなくなってからにしてくれ」
高齢化過疎化少子化空洞化二酸化炭素はこの世に満ちて
(化を五つも並べてしまい、少しふざけた歌になってしまいました。でも、本当は深刻な問題です)
バランスを崩しあやうくたたら踏む老松坂はゆるりゆるりと
(題詠マラソンは訂正無しの一回勝負ですから、直しようがないのですが。5句目はそろりそろり、の方が良かったかな、と反省。老松坂はもちろん老いを待つ坂でもあります)
誰彼もかまわず尻尾ふる犬の今日は何故かわれに吠えつく
(好きな言葉。誰そ彼...たそがれ。彼は誰...かはたれ。夕方はたそがれどき、明け方はかはたれどき、と使いわけてもいるそうです)
そのむかし記号論など振りかざし煙にまきたる彼のひと何処
(十何年前でしょうか、短歌の勉強会に出たことがあります。その時の講師の一人が、シニフィアンとかシニフィエとか、難しい言葉を並べていました。私がうっかり「テキスト」と言ったら、即座に「テクストです。発音がなってない」と注意を受けました。
競売にかけられし土地三度目の春をむかえて菜の花咲かす
(昨日、その前を通りましたら、不動産屋の幟がひるがえっていました。いずれ、アパートか建売住宅が出来るのでしょうか)
メトロからメトロ乗り継ぎはらはらと辛夷散りしく汝(な)が奥津城へ
(八王子のまや霊園には、つくばエクスプレス、大江戸線、新宿線、京王と乗り継いで行きます。スイカが利用出来るようになって便利です。新し物好きだった故人に報告しました)
禁煙をいくたび誓う男なりドロップ缶をからから鳴らす
(新幹線、特急も全車禁煙とか。煙草のみには辛い世の中ですね。昔の映画やテレビを見ますと、男女を問わず盛んに紫煙をあげていました。(動くアクセサーリー)とかいうCMもあった気が)
酸性雨にじわりじわりと冒されて長谷大仏の美貌翳れり
(原因は酸性雨だけではないでしょうが、大仏様のお姿が変容したように感じています。特に東京方面に向いている背中の状態が悪い、と聞いたことがあります)
飴色に玉ねぎ炒めぐつぐつと煮込みておりぬ桜待つ日は
(梅でも桃でもいいと思うのですが、待つ花はやはり桜。今年は早いという予測がどんどん外れて。旅行の日程も組んでしまい、どうなるかやきもきの日々です)
遠く遠く両陛下見しは何時のこと吹上御苑蓮池濠に
(先日、BS3で「吹上御苑の四季」という番組を観ました。広大な御苑にテレビカメラが入ったのは、初めてとのこと。昭和天皇がお住まいだったという御所の一部が映りましたが、どこか荒れた様子でした。この歌は今上陛下です。奉仕団の方たちに挨拶されているのを、遠く拝見したものです)
降伏は絶対しない皆な皆な一緒に死のう鬼畜米英
(昔々、強くて優しいマッカーサー、というカルタの一枚がありました。ジジは教科書の墨塗りをさせられたそうです)
温室にカトレアさまざま咲かしめてきみは余生をひとり楽しむ
(カトレアは愛情をかけた分だけ、綺麗に咲いてくれるので、可愛い、というジジの言に反論できません)
スポーツはもっぱらテレビ観戦で朝青龍のまたまた負けて
(豚児が生まれた頃は、北の湖全盛期で憎らしいほど強い、と言われたものです。朝青龍の強さもそれに匹敵するというか、他の力士が弱すぎるからでしょうか。5人もいる大関に頑張ってほしいです)
本を読む楽しみようよう覚えしがコナン・ドイルの『赤毛組合』
(4句めは字足らずでも、コナン・ドイルで切ったほうが良かった、と思っています。新潮文庫の『シャーロック・ホームズの冒険』の初版は1953年。2006年版は109刷とのこと)
骨密度測定されおり年々にすきま風吹くわれの身めぐり
(骨粗鬆症(こつそしょうしょう)、発音するのも書く?いや打ち込むのも大変な語句。でも漢字の不思議さは、眺めていると、何となく意味が分かってくる。充分に注意しなければいけない歳に近づきつつある)
固く固く手を握りしむ空襲の無惨をいまに三月十日
(疎開していて、空襲の経験はありません。戦後、上野から御徒町にかけて一面の焼け野原だったのを、うっすら覚えています。伯父のひとりはそこでバラック生活をしていました。そのまま、居座っていれば良かったなどと、後年、笑い話にしていましたが)
週末は品川宿を歩きます磯の香しょうしょう残ってますか
(子供の頃、都内というと品川辺りまででした。都電がそこまでしか走っていなかったせいでもありますが。車窓から丘の上の洋館や木立が見え、うっとりしたものです)
朗々と『種の起源』への反論を説ける女(ひと)あり幼児抱いて
(宗教関係の方の訪問が時々あり、パンフレットなどいただくことがあります)
正確に計量スプーンではかっても愛情まだまだ足りないという
(スプーンというお題から、連想したのはやはりスプーン曲げでした。ユリ・ゲラー、超能力とかがもてはやされて、その余波がいまだに続いている感じです。それから、銀のスプーンを咥えて生まれてきたた、という例えもありますね。豚児たちにとっては雲の上のような例えですが)
遣唐使仲麻呂の舟たゆたゆと春の天津路ただよいゆくか
(私にとって題詠マラソンは連想ゲームのようなものです。お題からいろいろな語句を思い浮かべてあれやこれやと作ってゆく、その過程を今のところは楽しんでいます)
しあわせかと問われし声の裏返り金太郎飴パキパキと折る
(俳句をやっている友人は、短歌の4,5句の7、7が饒舌だと言います。私は7,7こそが妙味と思っています。うまく跳べて着地に失敗しなければですが)
彼のひとの我慢の限界超えしなどゆめゆめ思わぬわれの甘さよ
(この歌も結句のわれの甘さよが甘かったような気がします。ところで、
ゆめゆめを漢字にすると、努々とも書くと古文書講座で習いました)
この屋根の下にて暮らすふたりなり朧ろ朧ろの歳月重ね
(初句はこの屋根でなく、古屋根にしようかとも思ったのですが、それから、朧ろ朧ろはぜんぶ仮名のほうが良かったかなとも)
こんなにも空晴れわたり陽炎のゆらゆらのぼる日にこそ果てめ
(短歌を学び始めたころ、ゆらゆらとか、やわやわなどは常套語的になるから、使ってはいけないという注意を受けました。あれから十数年、今は師匠を持たない、身の軽さ。今回は多いに使ってみようか、と思っています)
やわやわと走り始めんもうすでにゴールインの強者(つわもの)あれど
(4回目の題詠マラソンです。いつも驚かされるのが、さて今年のお題は何かしらと1日の朝、パソコンを開くともう完走の方がいらっしゃるのです。午前零時にお題が発表されてすぐに走り出したのでしょうか。私はその頃は白河夜船。今のところ一日一首のつもりですがどこまで続くやらの遠い道のりです)
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