「館の緋」によせて
馬に乗った、というより跨らせられたことがある。亡父の故郷だったと思う。その後、桜肉を食べさせられた。食糧難の頃で、皆な美味しい、美味しいと喜んでいたのを覚えている。その当時は東京でも、騎馬警官やおわい屋さん(牛車に肥樽を積んだ)をよく見かけた。
サトウハチロー作詞の童謡「めんこい仔馬」もやがて、軍馬となって連れてゆかれる。「館の緋」の最後で、父親は「今度は牛にしよう」と言う。牛なら徴用されないかもしれないが、農耕や運搬に使われ、その挙句、肉用にされるかもしれない。そうしたことで、私たちが生かされている。
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